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こんにちは! アニメ『違国日記』、第2話も見逃せませんでしたね。
みなさんはご覧になりましたか? 私はもう、冒頭から胸がぎゅっとなってしまいました。
あまり関わりのなかった槙生の散らかった部屋で、朝がまるで自分の居場所を確保するかのように、せっせと掃除を始めるシーン。あの健気な姿を見ただけで、もう涙腺が緩んでしまって……。
ソウカナ声かけられてびっくりしてる槙生ちゃんが好きだわぁ



ソウカナ氏は共感しまくってましたよね
今回は、第2話で特に心に残った、槙生の「保護者ではなく協力関係」という関係性の意味と、なぜこの作品が私の心にこんなにも深く刺さるのかについて、私なりの視点で語っていきたいと思います。
「自分の感じ方は、自分のもの」という救い


第2話で一番の衝撃、そして救いだったのは、槙生が朝に対して提案した「協力関係」という言葉でした。
いきなり始まった共同生活。普通なら大人は「私が保護者としてしっかりしなきゃ」「私が育てなきゃ」と気負ってしまいがちですよね。
そして、良かれと思って「こうあるべきだ」「普通はこうする」と、自分の価値観を押し付けてしまうことも少なくありません。
彼女は、自分と朝を「保護する側・される側」という上下関係ではなく、対等な人間同士の「協力関係」と定義したんです。
「貴方の感じ方は、貴方だけのものだから。貴方がどう思おうとそれを責める権利はない。誰にも」
この言葉、すごくないですか?
特に、周りの顔色を伺って自分の感情を後回しにしがちな人(私も含めINFP気質の人には多いかもしれません)にとって、これほど救いになる言葉はないと思うんです。
「あなたの感じ方はあなただけのものだから、私がそれを否定したり、土足で踏み込んだりしないよ」
そんな、槙生の不器用だけど、相手を慎重に大切に扱おうとする優しさが、この言葉に詰まっているように感じました。
あの散らかった部屋で、お互いの領域を侵さずに、でも突き放さずに共存しようとする姿勢に、すごく温かいものを感じたんです。



否定されると自分おかしいのかなぁって凹むんだよねぇ…



ソウカナ氏、他人の言葉で凹む貴方を否定する必要はないんですよ
「違国」としてのリビングルーム


もう一つ、印象的だったのが、朝の「違国に来たみたい」という表現です。
槙生が友人と楽しそうに話している姿を見て、朝は自分がその輪に入れない疎外感とともに、まるで言葉の通じない外国に来たような感覚を覚えます。
この感性、すごく鋭いですよね。
「家族だから」「一緒に住んでいるから」といって、必ずしも分かり合えるわけじゃない。むしろ、近いからこそ感じる「決定的な違い」を、朝は肌で感じ取ったのだと思います。
「分かり合えない他人同士が、どうやって同じ空間(リビング)で息をしていくか」
そんな手探りの実験が、あの少しカオスな部屋で行われている。
散らかっているけれど、そこには「他者を尊重する」という、目に見えないけれど確かなルールが存在している気がします。



子供が大人をわからない様に大人も子供がわからなかったりするんだよね



そう。だからこそ槙生は慎重になっているのかもしれません
亡き姉の影と、それを構成要素とする世界


そして、この作品を語る上で避けて通れないのが、亡くなった朝の母であり、槙生の姉の存在です。
槙生の回想に出てくる姉の言葉は、本当に鋭利で、見ていて心が痛くなりますよね。小説を書く槙生を否定し「当たり前のこともできないの」とマウントを取ってくる。
「近くにいるはずなのに遠い」
そんな家族の断絶が、槙生の人格や世界観を形作る重要な要素になっているという描写が、残酷でありながら、どこか美しくもありました。
きれいごとだけじゃない。この「苦味(ダークサイド)」があるからこそ、いま目の前にある、朝とのぎこちない共同生活が、より尊く、温かいものとして際立って見えるのかもしれません。



決して良い関係ではなかった様だけど創作の糧にはなっているみたいで複雑な感じだよね



お姉さんは家族であるからこそ槙生の才能に嫉妬してしまったのかもしれませんね



まぁ確かに、自分はなんて当たり前(普通)なんだ。ってわからされるのキツいものがあるかも…
まとめ:孤独な魂に寄り添う、静かな熱量の物語
『違国日記』は、派手な事件が起きるような作品ではありません。
けれど、誰かのふとした寂しさや、言葉にできない違和感に、静かに寄り添ってくれる。そんな「静かな熱量」を持った作品だと思います。
もしあなたが、人間関係に少し疲れていたり、「自分のままでいいのかな」と不安を感じていたりするなら、ぜひこの槙生と朝の「協力関係」の物語に触れてみてください。
きっと、張り詰めた心が少しだけ、軽くなると思いますよ。

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