【薬屋のひとりごと】「呪い」の正体はPb(鉛)。毒おしろいが乳児を脳症に至らせる化学的プロセス

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『薬屋のひとりごと』の物語は、後宮で噂される「世継ぎへの呪い」から幕を開けます。 生まれたばかりの御子が次々と衰弱死するこの怪奇現象。当時の人々は「非科学的な呪い」として恐れましたが、現代の化学知識を持つ私たちから見れば、それは極めてありふれた、しかし致命的な「労働災害」ならぬ「化粧災害」でした。

原因は、おしろい(白粉)に含まれる「鉛(Pb)」。
化学系学士としてこの事件を見ると、最も恐ろしいのは毒性そのものよりも、「鉛が人体にとって重要な『ある栄養素』になりすまして体内に侵入する」という、悪質なハッキングのような挙動にあります。

今回は、猫猫が布切れに書いた警告の裏にある、鉛中毒の冷徹なメカニズムを解説します。

目次

「毒おしろい」の化学的正体:なぜ人は鉛を顔に塗ったのか?

作中で梨花妃が愛用し、結果として我が子の命を奪ってしまった「おしろい」。 この正体は、化学式 2PbCO3 · Pb(OH)2 で表される「塩基性炭酸鉛」です。歴史的には「鉛白(えんぱく)」や「ごふん」とも呼ばれ、洋の東西を問わず、かつては高級化粧品の代名詞でした。

美しさの代償:酸化チタンと鉛の「隠蔽力」

現代の私たちが使う白いファンデーションや日焼け止めには、安全な「酸化チタン(TiO2)」などが使われています。では、なぜ昔の人は毒性のある鉛を選んだのでしょうか?

答えは、「圧倒的な美しさ(屈折率の高さ)」にあります。

  • 植物性の白粉(米粉など): 肌への定着が悪く、汗で落ちやすい。カバー力(隠蔽力)が低い。
  • 鉛白: 肌に吸い付くように定着し、伸びが良い。何より光の屈折率が高く、陶器のような透き通る白さを演出できる。

当時の女性たちにとって、鉛白は「肌の欠点を完全に隠蔽(コンシーラー)してくれる魔法の粉」でした。エンジニア的に言えば、「ユーザビリティ(美しさ・使用感)を極限まで優先した結果、セキュリティ(安全性)に致命的な脆弱性が残ったプロダクト」と言えるでしょう。

「呪い」の正体:鉛が体を破壊する分子メカニズム

では、体に入った鉛はどのように人を殺すのでしょうか。 鉛の恐ろしさは、単に細胞を壊すことではありません。体が鉛を「必要な栄養素」だと勘違いして積極的に取り込んでしまう、「なりすまし(分子模倣)」にあります。

カルシウム(Ca)へのなりすまし

私たちの体、特に神経や筋肉の動きには、カルシウムイオン(Ca2+が必須です。 しかし、鉛イオン(Pb2+)は、このカルシウムイオンとサイズや電気的な性質が非常によく似ています。

そのため、体内に鉛が入ってくると、細胞にある「カルシウム専用の入り口(イオンチャネル)」や「カルシウムが結合すべきタンパク質」が、誤って鉛を取り込んでしまいます。

これを「分子レベルのトロイの木馬」と想像してください。 重要な司令室(神経細胞や酵素)に、味方の顔をした敵(鉛)が入り込み、鍵穴を塞いでしまうのです。その結果、神経伝達が阻害され、激しい腹痛(鉛仙痛)、貧血、そして脳障害が引き起こされます。

なぜ「母親」ではなく「乳児」が先に倒れたのか?

作中では、化粧をしていた母親(梨花妃)よりも、抱かれていただけの乳児の方が先に重篤な状態になりました。ここにも明確な科学的理由があります。

  1. 吸収率の圧倒的な差
    成人の場合、口に入った鉛の吸収率は約10%程度と言われています。しかし、乳幼児の消化管は発達途中であり、鉛を約50%も吸収してしまうというデータがあります。
  2. ザル状態の脳(血液脳関門の未発達)
    大人の脳には「血液脳関門(BBB)」というバリアがあり、有害物質が脳に入らないよう守られています。しかし、乳児はこのバリアが未完成です。 おしろいが付いた母の肌に触れ、その手を舐める。あるいは母乳を通じて摂取した鉛は、乳児の脳へダイレクトに侵入し、不可逆的な神経ダメージを与えます。

これでは「赤子の肌におしろいを塗りたくっている」のと同じようなものです。猫猫はこの「乳児特有の脆弱性」を(経験則として)知っていたのかもしれません。

まとめ:無知こそが最大の毒である

おしろい事件は、悪意による毒殺ではありませんでした。「美しくありたい」という願いと、「知識の欠如」が引き起こした悲劇です。

猫猫は作中で「毒も薬も使いよう」と語りますが、鉛に関しては「美しさという機能性の裏に、許容できない毒性が隠されていた」典型例です。現代の私たちも、成分表示を見ずに「映え」だけで怪しいサプリやコスメに手を出すことは、ある意味で「鉛白」を塗る行為と変わらないのかもしれません。


【さらに深く知りたい方へ】

アニメや漫画ではさらっと流されましたが、原作小説では、猫猫がこの事件をきっかけに、さらに複雑な「毒の配合」や「薬の調合」に関わっていく様子が緻密に描かれています。「媚薬」としてのカカオの使い道や、青い薔薇の作り方など、理系心をくすぐるエピソードの宝庫です。

すべての伏線は、ここから始まった。猫猫の推理を原文で楽しむ。

薬屋のひとりごと小説・全巻
ポゥさん

2025年10月現在小説は16巻まで出ています

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