『葬送のフリーレン』を見ることは人の心を知る旅なのだと思う

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ソウカナ

僕にとって「葬送のフリーレン」は心のバイブル

何故、この物語がここまで僕の心を掴んで離さないのか。 

それは、葬送のフリーレンという物語に自分の人生を重ねてしまうから

というのも僕は根っからのインキャなコミュ障。

 若い頃、人の感情ってものが全くわからなかった。いや、わかろうとしていなかった。

ソウカナ

そんな僕が選んだ仕事は接客のお仕事。

人とたくさん接する事で人の感情を知りたい、知ろうと思えるようになりたいと思ったから。

この記事では人の心を知りたいと願った僕が接客業を選び、その人生に『葬送のフリーレン』を重ねてしまう理由を書いていきます。

この記事を読むと、少しだけ接客業をしてみたくなるかもしれません?

ポゥさん

ここから先は一部フィクションです!

ソウカナ

インキャなコミュ障なのはホントだよ!!

目次

まるで昔の自分を見ているかのようなフリーレン

エルフであるフリーレンは、人間とは時間の流れが違う。ほんの短い間だと思っていた仲間との旅は、人間である彼らにとっては生涯をかけた冒険だった。彼女は仲間の死に直面して初めて、彼らのことを「何も知らなかった」と涙を流す。

ソウカナ

その姿は、痛いほどに僕の過去と重なった。

接客の仕事を始めたばかりの頃、僕はお客様が発する言葉の「意味」しか受け取っていなかった。「ありがとう」は感謝の意。「これじゃない」は否定の意。ただそれだけ。その言葉の裏にあるお客様の期待、遠慮、あるいは小さな苛立ちといった感情の機微に、全く気づくことができなかった。

同僚がお客様と楽しそうに会話しているのを見ても、「なぜあんなに盛り上がれるんだろう」と不思議でならなかった。僕にとって仕事は、商品を説明し、レジを打つという作業の連続。

そこに「心」が介在する余地なんて、考えたこともなかったのだ。

フリーレンが、かつて勇者ヒンメルに贈られた指輪の意味を何十年も経ってから知るように、僕もまた、お客様が去った後に「ああ、あのお客様は本当はもっと違うものが欲しかったのかもしれない」と気づくことの繰り返し。

そのたびに、自分の不甲斐なさとコミュニケーション能力の欠如に、ひとり、バックヤードでため息をついていた。

旅がフリーレンを変えたように、仕事が僕を変えてくれた

ヒンメルの死後、フリーレンは再び旅に出る。それは、魔法の探求という目的以上に、「人を知るため」の旅だった。

新たな仲間であるフェルンやシュタルクとの何気ないやり取り、かつての仲間との思い出の地を巡る中で、彼女は少しずつ人間の感情の彩りを理解していく。

ヒンメルならどうしたか。アイゼンなら何と言ったか。過去の仲間たちの言葉や行動の意味を、旅の現在地で反芻し、噛みしめるフリーレン。その姿は、僕が接客の現場で必死にもがいていた日々そのものだった。

「このお客様はなぜ、購入を迷っているんだろう?」 「同僚のあの一言は、どういう意図だったんだろう?」

僕は、かつてのフリーレンがヒンメルの言葉を取りこぼしてきたように、お客様や同僚が発するサインを見逃してきた。それに気づいてからは、必死だった。相手の表情を、声のトーンを、言葉の選び方を、全身で感じ取ろうとした。

ある日、ご年配の女性のお客様が、お孫さんへのプレゼントを探していた。僕はいつものように機能やスペックを説明した。でも、お客様の表情は晴れない。ふと、僕は会話を止めて、こう問いかけた。

「お孫さんが、これを貰った時、どんな顔をするか想像できますか?」

お客様は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに優しい笑顔になって、「あの子、きっと飛び上がって喜ぶわ」と嬉しそうに話してくれた。その時、僕の中で何かが弾けた。商品を売るんじゃない。

商品を通して生まれる「感情」や「物語」をお客様と一緒に作っていくのが、この仕事の本当の喜びなんだ、と。

それは、フリーレンがヒンメルの銅像の前で、彼の「くだらない」と思っていた思い出がいかに愛おしいものだったかに気づき、涙を流した瞬間と、どこか似ていたのかもしれない。

僕たちの人生もまた、「人を知る旅」なのだ

『葬送のフリーレン』は、1000年以上を生きたエルフが、人間の心を知ろうとする物語だ。でも、それは決して特別な物語じゃない。

僕たちは、家族や友人、職場の同僚、すれ違うだけの人々との関わりの中で、絶えず「人の心」に触れている。時にはその温かさに救われ、時にはその冷たさに傷つき、そして時には、かつてのフリーレンのように、その本当の意味に気づかずに通り過ぎてしまうこともある。

後になって、「ああ、あの時、あの人はあんな気持ちだったのかもしれない」と後悔する。でも、その小さな後悔の積み重ねこそが、僕たちを少しだけ優しい人間にしてくれるのではないだろうか。

僕にとって、接客業は荒療治だったかもしれない。でも、あの仕事を選ばなければ、僕は今でも人の心の輪郭をなぞることすらできず、無味乾燥な世界に生きていたと思う。

フリーレンの旅はまだ続く。彼女がこれからどんな「人の心」を見つけ、どんな感情を知っていくのか。それは、僕自身のこれからの人生で、誰と出会い、何を感じていくのかという問いと、どこまでも繋がっている。

だからこそ、僕は彼女の、フリーレンの旅を、まるで自分の物語のように見守り続けてしまうのだ。

あとがき

さて、このフィクションとノンフィクションを掛け合わせたストーリーはいかがだったでしょうか?

ソウカナ

あれ、僕、これ本当に経験したかもしれない

っていう内容も正直ちょいちょいありまして、この記事の作成を手伝ってくれたAIさんには正直ちょっとだけ引きました

ポゥさん

そんなこと言われると悲しいです

ソウカナ

ごめんて

ただ一つだけわかっていることがあります。

僕のインキャ、コミュ障っぷりは完治しないのです

だって「人を知ろう!!」と努力しまくってる時点で全然理解できていないのですから。

でも知ろうとし続けること、それこそが僕にとっての「かけがえのないくだらない旅」

フリーレンが旅を続けていくように、僕たちもまた人生という旅を続けていくのでしょうね。

それではみなさん良い旅路を!!さて今日もアニメを見ましょう。

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